表現方法としてのゲームについてとかなんとか
都市伝説解体センター、実況を見たんですが面白かったです。
絵柄の可愛いドット絵、演出バチバチの推理パート、妙に嫌な感じの解像度の高いインターネット描写。
作者さんががっつりゲームの作成方針を語られてまして、「普段ゲームをしない人、久々にゲームに触れる人向けに簡単にクリアできるゲームを作っています」「このゲームは自分でプレイした後に実況者さんの配信を見ると非常に楽しめます。ぜひ自分でプレイしてみて下さい」
……もう完全に実況で済ませといてこんな文章書くのもなんなんですが、まあそのうち自分で買ってやろうと思います。
アドベンチャーゲーム実況で見たあとで買うのもなんかお布施じみててどうなんだろうとは思うんですが、まあ義理立てだけでなく楽しめるんじゃないだろうかとは思っています。
というのも、このゲームはメインの楽しみ方が「難しい謎を考えて解く」の部分にないからです。
このゲームを見ていると、「ゲームオーバー」が特に用意されていないので、基本総当たり的に調べられるものを全て調べていればゲームは進みますし、これと言って詰まりそうな仕掛けもありませんでした。
代表的なのが章の終わりごとに「都市伝説の解体」を演出と共に進めていく「アイ・オープナー」で、解体センターのセンター長が主人公に対して四〜五くらいに小分けにされた質問をします。質問一つに答えるごとに画面に表示されたシリンダー錠が回っていき全ての解答に正解すれば真相が解明されるのですが、そもそもの質問がこれまでの状況を振り返っているだけなのと、間違った選択肢を選んだ場合もセンター長がウィットに富んだ「全然違います」を突きつけてきた後、回答の選択画面に戻されるだけなので、どんなに勘が悪かろうともお話は進むことになります。
じゃあ何を見ていくのかというと、基本はキャラクターのリアクションなのかな、と思います。
主人公のあざみは素朴な善性のある人物であり、口コミで広まる都市伝説に付随して触れることになるインターネットの悪意に対して、素直に怒ったり傷ついたりすることのできる人物として描かれています。
そして都市伝説解体センターの先輩として共に行動することになるジャスミンは、カラッとした態度で他人からの悪意は受け流したりバッサリと切り捨てることのできる人物で、悪意を真っ向から受け止めてしまうあざみを思いやり、負の感情や迂闊な行動にブレーキをかけれれるキャラクターです。
この二人が依頼された事件の調査をすることで、怯えている被害者に対しては寄り添い励まし、感じの悪い調査依頼者やインターネットの悪意には「なんだアイツムカつく!」「困りますよねホントに!」みたいなやんややんやと憤ったり、やや威圧感の強い人物や様子がおかしい人物にも「ちょっと聞かせてもらっていいですか?」とぐいぐい質問しにいく主人公が見れたりと、暗い画面で不気味な話をしている割にテンション感は明るいことが多いんですよね。
相棒のジャスミンが武闘派なため、なんかあった時は危険人物を蹴り倒しに行くのも「この子がいればまあ大丈夫か」みたいな呑気な雰囲気がプレイヤー側にも若干ある気がします。
で、ネタバレ厳禁なタイプのゲームを実況見た人間がペラペラしゃべくるのも最悪すぎるので物語の内容については一切触れませんが、前述の通り「このゲームって謎解き要素が簡単すぎてゲーム性なくない?」というリアクションがネット上でそれなりに見られたのでそれについて書きたいという話です。
まあ、難易度的なものの話をするのであればこのゲームはほぼ謎解きで悩ませるつもりがないです。
例えば、推理パートになると3つほど穴の空いた文章が表示されます。
『もしかして、○○○は、△△△で、◆◆◆なのでは?』という文が出てきたのち、その下に9つほどのワードが並び、それぞれの○△◆に対応する単語を選ぶことになる、というものです。
そこでちょっと面白かったのが、それらのワードの中にあらかじめ助詞がついていたことです。
例えば上の文章だけでも、○に入るのは明らかに主語ですから名詞になるでしょうし、△は形容詞だと自然な文章になりやすいでしょう。◆は結論になるので名詞でも形容詞でも自然な文章になるでしょうが、まあ○と△が埋まっていれば自ずと埋められそうです。
『もしかして、○ゲジゲジ は、△気持ち悪い から、◆不快害虫 なのでは?』 みたいな感じですね。
ただ、ゲーム内だと○の部分に当てはまりそうな単語があっても大体助詞がついてるんですよね。
別に○に入る文章を成り立たせたいだけならゴキブリでもムカデでもいいんですけど、ゲーム中の選択肢として出てくる時は「ゴキブリに」とか「ムカデに」とかで意図的に弾かれるようになっている。
別にそういう工夫をしているワード選びゲームは全然ありふれててもおかしくはないと思うので、感動した!エキサイティング!とまではならないんですが、明らかにプレイヤー側がサクサクゲームを進められる動線が作られているのを感じたので、いいなあと思ったわけです。
全く謎解きで頭を悩ませるほどの引っ掛かりを作ろうとしていない一方で、ゲームの進行とプレイヤーの操作に伴ったプレイ中の画面の絵変わりは凄まじいです。
ゲーム中には複数のパート分けがあり、事件に対して該当する都市伝説を明らかにする「都市伝説特定」、事件についてSNS上の情報を調べ検索を繰り返す「SNS調査」、登場人物や背景を調べながら事件の詳細を見ていく「現場調査」、そしてお話が終盤になるとセンター長と共に事件の全貌を明らかにする「都市伝説解体」などがあります。
「都市伝説特定」と「都市伝説解体」はある程度グラフィックは共通ですが演出のついた『今回現れた都市伝説はコイツだ!』と『そして全ては解き明かされる!』の盛り上がりは大きいですし、「SNS調査」についてはジャスミンとあざみの可愛らしい掛け合いが見れたりします。「現地調査」は言ってみればフィールドの物体を全て調べるだけですが、あざみが特別なメガネをかけると現場の人物の痕跡が見える「念視」により、ボタンひとつで画面が大きく変わる、画面に干渉する楽しさに一役買っている演出の一つでしょう。
ほぼほぼ整備されきった結論にそのまんま向かっていくゲームなのである意味ノベルゲームと言ってもいいものだとは思いますが、それでもノベルゲームと言われるものよりも明らかにこの作品は「テレビゲームっぽい」んですよね。
自分がそもそもそういうゲームあんまりやらないんですけど、「fate/staynight」とか「月姫」とか最後までやってお話全部読み切った後にこれを「クリアした」って言い方は正しいのか?バッドエンド選択肢からやり直し続けただけで?みたいな疑問があります。まあここの会社が出してるやつノベルの部分強すぎるのと、「ルート分岐」の存在がもう知れ渡っちゃってるから「有名なアレに触れてみる」扱いになっちゃってるだけかも。
かといって、昔やったフリーノベルゲームでコメディパート以外に選択肢が存在しない「ゲーム」を遊んだことがあるんですが、でも「遊んだ」にはなるんだよなあと。「読み終えた」じゃなくて。
近いところだと「流行り神」が好きなんですが、あのゲームは推理パートの選択肢で若干世界観が変化してくるやつなので「真相を読み取る」とはちょっとズレるし。あれは割と明確にゲームっぽい。
脱線しすぎた。
そもそも「決まったパートごとにお話が進行していく」それそのものが「テレビゲームっぽさ」になりますよね、という話で。
ここで言う「テレビゲームっぽさ」って雰囲気と表現方法のことで、方方で言われている「ゲーム性」はゲーム制作者が出してきた課題との戦いのことになると思うんです。
そして「ゲーム性」というものにゲームという字が入ってしまっているがために、それがなければ相応しい存在じゃない簡単バージョンみたいに扱われがちな気がするんですが、それもなあと。
雰囲気と表現としての「テレビゲームっぽさ」としては、このゲームの「都市伝説解体」の演出なんかは、少年漫画の必殺技の名前を叫びながら打つやつや、ヒーローや魔法少女が変身中攻撃されないけど特にそこには理由がないやつに近くて、これがあるとゲームプレイヤー的に盛り上がりやすくて楽しいんですよね。
「SNS調査」は実のところ必要な情報を集めるための部分だけ見つけられるなら全然最小限でいいんですが、どっちかというとプレイヤーの方がキャラ同士の掛け合いを見たくて色々調べるギミックになってますし、「調べても調べなくてもいいけど調べると楽しい」っていうのは「テレビゲームの楽しさ」としてはかなりメジャーなものではないでしょうか。
で、このへんまではインターネットの他の方々書いてると思うんですけど、そもそも、ゲーム制作者から投げかけられた課題に答える形の「ゲーム性」って、その……そんな大したモンですか?
いや、すごく面白いやつはすごく面白いんだと思います。そこのめちゃくちゃしっかりした作りがある「ゲーム性」は揺るがしてはいけないものだとは思うんですけど。
ただ、こと謎解きが絡まるゲームって、なんかこう……まず「何を答えればいいのか」「どう答えればいいのか」「方向性は合っているのか間違っているのか」「これ閃けなかったらこのまんま一生詰まるしかないのか」みたいなゲーム制作者とのコミュニケーションエラーがいつ発生するか分かんないのが怖いところあるんですよね。
ちょっと前に大逆転裁判をプレイしたんですが、画面内の図で決まった場所を示せ、みたいなところでめちゃくちゃ詰まってしまい、試しに適当なところを連続で押そうにも誤答一回につき「その回答は間違っているぞ!」の演出を見せられ、これゲーム側は何を答えて欲しいんだ……?という疑問に対してフィードバックが増えなくてすごいストレスフルなゲーム体験だったんですよね。結局はそこを過ぎたら大して詰まることもなくサクサクいけたんですけど、あれが発生した時推理ゲームは何も助けてくれない構造的な問題があるような気がしてなりません。
子供の頃遊んだロックマンエグゼのストーリー進めてる時も「何を求められてるのか分からない」が発生して、『無人島イベントで要求される釣り餌のイソメ』がどこでゲットできるのか分かんなくてクリスマスに買ってもらったゲームなのにも関わらずそのまんま放置とかしてたので、特にカプコンのゲームの謎解きに不信感があります。
あの頃の俺はダークチップシンジケートよりもイソメの方が憎かった。
さて。まあエグゼはもちろん大逆転裁判ももはや随分前のゲームなので例えに出す例としては不適切でしょうけども、そういうのは置いといてこの2タイトルもクリアしてしまえばいい思い出なんですが、「都市伝説解体センター」に対する好感は、作者さんがそういう簡単でストレスフリーなゲームを作ろうとして作ったというのが公言されているからです。
言ったらなんですが、「ゲーム性」ってそれが意図されたものでなくても、悩んで何回も失敗した末にクリアできたら褒め称えられるものになってしまうところがあると思います。
それは決して悪いことではなく、テレビゲームをプレイした思い出というのはテレビゲームからもらえる報酬として一番大きいものだと思うので、そこを否定するのはどうかと思います。
ただ、それって思い出を楽しくしてるのってプレイヤー側の脳みそですよね?というところが拭いきれません。
長いこと詰まってクリアできたらスッキリしますけど、そのクリアに至るまでの道のりが必ずしも納得のいくものとは限りません。
正解の選択肢を偶然選んだあとに「本当はこういうことだったんだよ!」「はぁ!?」みたいなことがたまにあります。ありました。
アクションゲームでたまに中途半端な攻撃力の渋い見た目の武器でちまちま敵のHPを削って遊ぶのがちょっと好きなんですが、あれやってる最中、「このゲームの作者はこれをやらせたかったのか……?」と思うとすごい微妙な気分になる時があります。要は作者に対する信頼の話ですね。
「都市伝説解体センター」は難易度が低いゲームであり、それ自体は賛否あるゲームですが、
・難易度が低いことは意図されたものであり、
・低い難易度に対して視覚的な「テレビゲームらしさ」の表現に力を入れていて、
・難易度が低いところに付随する「ゲーム性」の低さについてはある程度承知した上でこれを作ったんだろうな、と納得できる
というところで、作り手を信頼することのできるゲームだなあと思ったのでなんか書いてみたというお話でした。
ただ気になるところとしては、今回言及してないお話の部分に対してミステリー的な分野に対する信頼はどうか?という部分については分からなくもないところがあるので、同じ作者さんの違うゲームとか調べて遊んでみたいですね。