雑記と落書き

寒くなってきましたね。

最近土日もタブレットでカードゲームしかしてないのに出勤日と同じくらい疲れてて困ります。

こないだカラオケ深夜に行ってみたんですがまあ声が出ないわ出ないわ。

腹から声出ないのはしゃあないんですけど首と鎖骨周りと胸筋周りがまとまって固まってるもんだから口がうまく動かない。

何ならそれを動かして運動させるために行ったところがありましたけど上手くいきませんでしたね。

ラジオ体操って深呼吸の時に腕上げて下ろすじゃないですか。

学生の時の体育とかも同様なんですけど、腕の動きの割に深く呼吸できてるかは疑問で、逆に腕の動きをしてたら呼吸してるかどうかは別に問われないから、これ何の動き?って思ってたんですよ。

でも腕上げて下ろすの動きと一緒だとちょっと鎖骨周りの筋肉が動くからかちょっと息がしやすいですね。

このバカみたいな疲れが無ければ気付かなかったのかと思うと気付きたくなかったですが。

最近食事にタンパク質を確保しつつ生ものを避けたいという気持ちから、ちょいちょい大豆と米を一緒に炊いた物を食べています。

何となく鍋で炊いてみたりしてるんですが、米って1日吸水先に済ませとけば割と手鍋でも早く炊けますね。

家帰ってから炊飯器に入れるよか早いかもしれん。

1日先に炊飯器に入れれば済む話なんだけど、なんか入れっぱなしも怖いし。

前に切った生姜をドリップコーヒーに混ぜて体の冷えを相殺するのをやってたんですが、寒くなってきたからまたやりたいですね。


「皆さんの職場は何属性ですか」っていうポストを見て、最近ロックマンエグゼ4の実況見たばっかりだから置物属性でジャンクソウルにソウルユニゾンしようかな、とか思っちゃった。大悪口。

サイトトップに「検索図鑑」って書いたGoogleworksheetを置いてるんですが、ここに何らかの書籍で見つけた固有名詞をひたすら打ち込んでいます。

脇の方にGoogle検索のリンクがあるのでワンクリックで検索できるようにしてるんですが、大体今本読む時って電子書籍なので打ち込みできる状況が限られており思いつきで書き殴った後がところどころに見える。

こう、手持ち無沙汰になった時の続けて読まなくてもいい情報のはしきれみたいなものを置いておいて、Twitter とかのSNSにあたるものの位置に置きたい。

書いてることしか知らないし今言いたいことしか頭にないよ。

別にめちゃくちゃ拗ねてるわけじゃないけれど一回距離置くと何書いても滑るような気がしてくるよSNS。

今の生活の実況を一回止めるとなにか親しみのようなものが失われた気がしてどうしたもんかな。

自分の好きを表現したいというのは創作意欲としていい動機だと思うんだけれど、それは割と「私はこれが好きです」のアピール大会と結構近い位置にいると思う。

見られないもん作ってどうすんだと思うものの、見られたからここまで続けられたんじゃないか!みたいなのも何を月島さんヅラしてんだてめえという気持ちになる。

いろんな余裕が失われて今反抗心しか手元にない。


ここの雑記の欄をTwitter代わりに使いたいのになかなかここを弄らないもんだからサイトを更新するたびにサイト更新してねえなっていうことを書く羽目になる。

Xとかいうダサい名前のSNSのおすすめ欄が何回やっても知らないやつの自意識書き込みフォーラムになってしまうので、早めに見切りがつけられるようにはなってきたものの他に行く場所があんまりありません。

Youtube 、正直ライブ配信メインの人を追う情熱があるうちはいいんだけどもそれがなくなった瞬間に好きでもないゲームを遊ぶ配信で自分の「お気に入り欄」がそれで埋め尽くされてしまい、その度に ああ、人の繋がりとしてのインターネットって俺にはあんまりいらないんだなあという気持ちになる。

学生の頃はpodcast聴いたり図書館のCDコーナーで落語の音源借りたりした物だけれど、いうてあれは選択肢がない故にやれたことではあるからどうしたもんかなあと思います。インターネット性のあるもの、大きいプラットフォームであるほど何でも集まるんだけど、その全てが徐々にプラットフォームに影響されていって別にプラットフォームが好きなわけじゃないんだよ!となります。

唐突にYoutubeの検索欄に神学とか入れてみてイデアの話の解説動画とか見てみたものの、納得できたら納得できたでなんか不安になります。

この解説一体どの程度主観が入ってるんだ。親鳥が噛み砕いて与えてくれた餌のうちどれだけの割合が親鳥の分泌物なんだ。

常識的に考えて、という言葉を使う人ほど自分の感性だけで生きてるから非常識な人が出てきたときどうせ言葉で説得できないし反感を持たれる形でしか人間を矯正できない、みたいな現象が嫌いです。

なおかつ何にも自分の中に物事を判断する基準がないからなんか理由と結果が用意されたお話をされたら納得してしまうし、あまつさえそれを最初っから自分もそう考えてました!なぜかといったらお話を聞いてその通りだと思ったからです!みたいなやつもおーーーーーー!!!!!!!💢💢

自分の中に意見がないことを寛容だと勘違いするな!!!!!!

左側に付けられたドアノブに左利きの人が文句言ってたら不寛容だなあって言ってる右利きの人間が寛容を気取るな!!!!!!

右付きのドアノブに対してこういうのもあるのねっていうのが寛容だしお前は絶対不便だなって文句言うだろうが!!!!!!

寛容を気取るかどうかの話であって俺は別にどっちでもいいし「ああ普段のドアノブって左に付いてるもんなんだねえ」で済ませたい派です。

何の話をしているかというとこの辺のキレがあるせいで私は一生自分が分かりやすく受け入れられた物が「正しい」のか疑うし、何なら目の前にあったものに欠点があるとちょっと安心してしまうという性質のことです。

これは逆張りと何が違うんでしょうね。